この時期、タカ(サシバ)との遊びを思い出す

カテゴリー │想い出

寒路(今年は、10月8日)を迎えるとタカ(サシバ)を思い出す。

子供心にソワソワ・ワクワクしながら、「♪~タカドーイ、デングデング、ウヮガヤーヤ、ンザリャ~・・・♪」とか歌っていた。

ヤラビ時代(50数年以上の前)のことだが、夕刻前の秋空に大きな円を描きながら数え切れない程のタカが舞っていた。
この時期、タカ(サシバ)との遊びを思い出す

夕方になると大人達はツギャー(タカが留まりそうな木の上に作られたやぐら→やぐらに隠れてタカを待ちかまえて捕る)へ行ったり、バナダキ(漢字で書くと罠竹?:竹竿の先端に捕獲用輪っかを付けたタカ捕り用道具)と電灯を持って林へと入っていった。

大人達は、捕った獲物をタンパク源や秋の味覚として当然のように胃袋へ・・・・・。

私も中学の先輩達とバナダキを持って真っ暗な山に入り、タカ捕りに行ったことがある。長距離飛行で疲れ果てて休んでいるタカの寝込みを襲うのである。
電灯で照らすとタカの白い腹が見える。バナダキの先の輪っかをタカの首にかけて捕るタカ捕りだ。
今思うと心が痛むが当時は喜々としてとして、先輩の後をついてまわった。
この時期、タカ(サシバ)との遊びを思い出す


漲水の港では、オバさん達(伊良部から?)が足と翼を縛られたタカをバーキいっぱいに詰めて売っていた。

縛られて動けないタカは、頭と目だけを不安そうにグルグル動かしていたように記憶している。

親が買い与えたタカを手にした我々子どもは、ワーシャーヤー(食肉販売店)に通い、肉の切れ端をもらってタカに与える等、熱心に世話をした。

子ども達はタカを持ち寄り、タカ飛ばし競争に興じた。
タカの足にくくった数mのヒモの先に下駄を縛ってタカを飛ばし、その飛距離を競うのである。
下駄を重くすると距離が伸びなくなり、軽過ぎるとタカは降りることなく遠くに飛び去ってしまう。

我々子どもは、タカの目の色「タリカスミー(酒かす目)」「キンミー(金目」「アカミー(赤目)」でタカの強さを判断していた。

「タリカスミー」は泣き虫・弱虫(たぶん幼鳥かも)、
「キンミー」は力強くたくましい(たぶん青年期の成鳥だろうか?)、
「アカミー」は眼光鋭く威厳あり(熟年の成鳥かも?)

タカの「年齢と目の色」について知っている方は、教えて下さい。

タカの時期が過ぎると、我々は可愛がっていたタカから足のヒモをはずし、空に放った。
タカが見えなくなるまで見送っていた記憶が残っている。
この時期、タカ(サシバ)との遊びを思い出す

友達によっては、親がタカ汁にして食べた家庭もあったようだ。


寒路を迎えた今日この頃、空をあおいでもタカは見えない!

なぜ?、

宮古でタカを捕りすぎたからだろうか?
繁殖地等での自然環境の悪化によるものだろうか?

我々の先祖は、遠い昔からタカを食料や子ども達の遊び相手としてきた。
それでも、長い年月タカは減少することなく宮古島に大群で訪れていた。

専門的な知見はないが、タカが生息する自然環境の急激な悪化によるのだと考えている。
(だからといって、昔のように捕獲しても良いではない。絶対にだめ!)

私達の子どもの頃の遊び相手、現在は絶滅危惧種のサシバを地球上から絶滅させることなく未来の子ども達に繋げていければと願っている。


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